2009年03月01日

ガエタノ・シレア

ガエタノ・シレア

シレア.jpg

 ●国籍  イタリア

 ●生年月日 1953年5月25日

 ●ポジション DF

 ●代表出場 78/2

 ●所属クラブ


 1972-74 アタランタ

 1974-88 ユベントス

 

 冷静な判断力から生まれる鋭い読みを武器に的確なディフェンスで守備を
 する傍ら、攻撃にも積極的に参加し攻守の両面でチームを支えたリベロ。

 72年にアタランタでキャリアをスタートさせると当初は中盤でプレーを
 していたが、その卓越したディフェンス能力からリベロにポジションを
 変えると、74年に名門ユベントスに移籍をすると、1年目から活躍をし
 スクデットを獲得をすると、その後リーグ戦6回、カップ戦2回、UEF
 Aカップ7回、チャンピオンズ・カップ1回、トヨタカップ1回などの
 タイトルを獲得し、88年に引退をした。

 代表では78、82、86のワールドカップに出場し、優勝をした82年
 スペイン・ワールドカップの決勝の西ドイツ戦では積極果敢な攻撃参加で
 タルデッリの2得点目をアシストしチームの勝利に貢献した。

 引退後はユベントスのスカウトとして活躍していたが、89年に訪れてい
 たポーランドで交通事故に遭い、36歳の若さで亡くなった。
 その死にイタリアはもちろんヨーロッパ各国が衝撃を受け悲しみにくれた

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2008年11月18日

サルバトーレ・スキラッチ

サルバトーレ・スキラッチ

スキラッチ.jpg

 ●国籍  イタリア

 ●生年月日 1964年12月1日

 ●ポジション FW

 ●代表出場 16/7

 ●所属クラブ



 1981-82 パレルモ

 1982-89 メッシーナ

 1989-92 ユベントス

 1992-94 インテル

 1994-98 ジュビロ磐田


 飛びぬけたスピードも、ずば抜けた技術も、恵まれた体格も持ち合わせ
 てはいなかったが、ゴールへの嗅覚は超一流で、トトの愛称で活躍した、
 センターフォワード。

 パレルモでプレーをし、82年にはセリエCのメッシーナでプレーをする
 と、チームのセリエB昇格に貢献をすると、89年のユベントス移籍をす
 るまでに得点王にも輝いた。

 89年にはセリエAのユベントスでプレーをすると、持ち前のゴールへ
 の嗅覚でゴールを量産すると移籍したシーズンから15得点を記録した。
 
 しかし大活躍をした、1990イタリア・ワールドカップ後はゴールへの
 嗅覚を失ってしまい、94年にはジュビロ磐田に移籍をし、活躍をした。

 代表では、1990イタリア・ワールドカップでは控えのFWでしかなか
 ったが、予選リーグの初戦のオーストリア戦で途中出場ながら1得点をあ
 げると、その後の試合はレギュラーとして出場をし、ロベルト・バッジョ
 とのコンビで得点を量産をし、3位入賞の原動力となり、自身も得点王に
 輝いた。

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2008年11月05日

ジャンルカ・ペッソット

ジャンルカ・ペッソット

ペッソット.jpg

 ●国籍  イタリア

 ●生年月日 1970年8月11日

 ●ポジション DF MF

 ●代表出場 22/0

 ●所属クラブ




 1989-91 バレーゼ

 1991-92 マッセーゼ

 1992-93 ボロ−ニャ

 1993-94 ヘラス・ヴェローナ

 1994-95 トリノ

 1995-06 ユベントス


 とてもクレバーなプレーで味方の危機を察知すると、鋭い読みでボールを
 奪うと攻撃の起点にもなり、サイドバックでプレーをすると絶妙な攻撃参
 加でチームの攻撃を支えた。

 ミランのユースチームで育ち89年にバレーゼでキャリアをスタートさせ
 ると、すぐさまレギュラーとして活躍をし、91年にマッセーゼに移籍、
 92年にはボローニャなど、1年おきに違うチームでプレーをし、経験を
 積むと95年にユベントスに移籍をすると、その冷静なプレースタイルと
 ディフェンシブなポジションならどこでもこなせるユーティリティ性で
 ユベントスの守りの中心として活躍をし、06年までにスクデットを6度
 制覇、ヨーロッパでもチャンピオンズ・リーグも1度制覇をし、ユベント
 スの黄金時代を支えたと同時に、色々なチームでプレーをしたペッソット
 の苦労は報われた。

 代表では1998フランス・ワールドカップでは予選リーグでは、出番は
 無かったが準々決勝のフランス戦では先発出場をし、PK戦で破れたが、
 フランスの攻撃陣を無得点に抑えた。

 2000欧州選手権でも代表に招集されバックアッパーとして、イタリア
 の準優勝に貢献した。

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2008年10月23日

パオリーノ・プリチ

パオリーノ・プリチ

プッチ.jpg

 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1950年4月27日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場 19/5

 ● 所属クラブ



 1966-67 レニャーノ

 1967-82 トリノ

 1982-83 ウディネーゼ

 1983-85 フィオレンティーナ



 ペナルティーエリア内でのポジショニングが上手く、フリーの状態でボ
 ールを受けると的確なシュートでゴールを量産したストライカー。

 66年にレニャーノでキャリアをスタートさせると、1年でセリエAの
 トリノに移籍をし、数シーズンは出場機会に恵まれなかったが、69−
 70シーズンからレギュラーとして活躍をすると、72−73シーズンに
 得点王を獲得すると73年に移籍をしてきたフランチェスコ・グラツィア
 ーニとのコンビで得点を量産すると、74−75シーズには2度目の得点
 王を獲得すると、翌シーズンには念願のスクデッド獲得の原動力となり、
 個人的にも3度目の得点王を獲得した。

 76−77シーズンにはフランチェスコ・グラツィアーニの得点王をアシ
 ストするなど、当時のプリチとグラツィアーニのコンビはリーグの看板で
 敵チームにとっては驚異であった。

 代表では当時同時期に活躍していた、リーバ、ベッティガ、ロッシなどの
 フォワード陣の影に隠れて、出場機会に恵まれなかった。
 
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2008年10月06日

マルコ・タルデッリ

マルコ・タルデッリ

タルデッリ.jpg 
 
 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1954年924日

 ● ポジション DF MF 

 ● 代表出場 81/6

 ● 所属クラブ



 1972-74 ピサ

 1974-75 コモ

 1975-85 ユベントス

 1985-87 インテル

 1987-88 ザンクト・ガレン



 若い頃はサイドバックとして活躍したが、ボール奪取の能力の高さ、
 豊富な運動量、試合の流れを読む力に長けていた為、次第に中盤など
 でプレーするようになった80年代前半のイタリア代表を支えた名選手。

 セリエCのピサでキャリアをスタートさせて、74年にはコモに移籍を
 し、そこでの活躍が認められて75年には名門ユベントスに引き抜かれ
 その年からレギュラーとして活躍し、ユベントス在籍10シーズンで、
 国内タイトルではリーグ優勝5回、コッパ・イタリア2回、獲得に貢献
 し、国際タイトルでは83−84シーズンにカップ・ウィナーズ・カップ
 84−85シーズンには、チームの悲願であったチャンピオンズ・カップ
 制覇に貢献したが、85年にインテルへ移籍をしたため、トヨタカップ
 には出場出来なかった。

 代表では1978年、1982年のワールドカップに連続で出場をすると
 イタリアが優勝した、1982年スペイン・ワールドカップでは、毎試合
 相手のキープレーヤーをマークし、激しいマークで仕事をさせず、攻撃面
 でもチームに貢献をし、予選リーグのアルゼンチン戦で1得点を記録する
 と、決勝戦の西ドイツ戦では、チームの勝利を決定付ける2点目をミドル
 シュートで決め、喜びを爆発させて走り回った。

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2008年09月07日

ジャンカルロ・アントニョーニ

ジャンカルロ・アントニョーニ

ANTOGNONI.jpg 

 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1954年4月1日

 ● ポジション MF 

 ● 代表出場 73/7

 ● 所属クラブ



 1970-71 アスティマコビ

 1972-87 フィオレンティーナ

 1987-89 ローザンヌ



 優雅なプレーで観客を魅了して、トリッキーなパスと的確なフィードを
 得意としたゲームメイカーで当時のフィオレンティーナ、イタリア代表
 には欠かせない選手。

 キャリアのほとんどをフィオレンティーナで過ごし、タイトルには縁が
 無く74−75シーズンのコッパイタリアが唯一のタイトルである。

 代表では1974年にデビューを果たし、その後はイタリア代表には
 欠かせない選手となり、1978年アルゼンチン・ワールドカップでは
 4位入賞の原動力となった。
 82年スペイン大会ではイタリアはパオロ・ロッシの代表招集問題もあり
 まとまりを欠いて1次リーグは3引き分けと調子が出ていなかったが、
 アントニョーニ自体は好調で、2次リーグの決勝トーナメント進出を賭け
 たブラジル戦では、ボールをキープする時間はブラジルが多かったが、
 試合をコントロールしていたのは、アントニョーニであった。
 そこから効果的なパスが通り3−2でイタリアが競り勝った。

 準決勝のポーランド戦で負傷し決勝の舞台には立てなかったが、イタリア
 の優勝に貢献した。
 
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2008年09月05日

カルロ・アンチェロッティ

カルロ・アンチェロッティ

アンチェロッティ.jpg 
 
 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1959年6月10日

 ● ポジション MF 

 ● 代表出場 26/1

 ● 所属クラブ



 1976-79 パルマ

 1979-87 ローマ

 1987-92 ミラン



 底なしのスタミナを持ち、オールラウンダーMFとして攻守の両面で
 ハイレベルなプレーを披露し、戦術眼に優れ、毎試合、安定感のある
 プレーを見せた。

 当時セリエB,セリエCををさまよっていたパルマで3シーズンプレー
 をし79年にローマに移籍をした。
 80年に加入したファルカンとのコンビは素晴らしく82−83シーズン
 にはスクデッと獲得に貢献した。

 87年からはミランに移籍、ファン・バステン、ライカールト、フリット
 のオランダトリオなどスタープレイヤーばかりだったが、当時の監督の
 アリゴ・サッキがプレッシングサッカーが全盛だったイタリアサッカーで
 アンチェロッティ、ライカールトがボランチのポジションに入り、チーム
 をコントロールし、最初は馬鹿なシステムと言われていたが、チームは
 常勝軍団となった。
 そのチームの中でもアンチェロッティは賞賛を受け、ボランチの本場の
 ブラジル人のプレイヤーから真のボランチと言われ、92年までミランで
 プレー現役を引退した。

 引退後は監督としても成功している。

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2008年09月01日

イゴール・プロッティ

イゴール・プロッティ

プロッティ.jpg

 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1967年9月24日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場 0/0

 ● 所属クラブ



 1983-85 リミニ

 1985-88 リボルノ

 1988-89 ヴィレスチト

 1989-92 メッシーナ

 1992-96 バーリ

 1996-97 ラツィオ

 1997-98 ナポリ

 1998  ラツィオ

 1998-99 レッジーナ

 1999-05 リボルノ



 小柄な体格ながら相手DFとの競り合いにも強く、ペナルティエリア内で
 仕事をしたかと思うと、ペナルティエリア外から放たれるミドルシュート
 も得意としていた。

 若い頃はセリエB、セリエCのチームを渡り歩き、94年にバーリにて
 セリエAで初めてプレーし、95−96シーズンには、その年に移籍して
 きたK・アンデションとのコンビは素晴らしく、24ゴールを記録して
 得点王に輝いたが、チームは低迷してしまいセリエB降格してしまう。

 翌シーズンにラツィオに移籍を果たすが、全くと言っていいほど
 活躍出来ず、99年からセリエCのリボルノに移籍をするとストライカー
 として大爆発して、01ー02シーズンには27得点をあげ、チームを
 セリエB昇格に貢献して、03−04シーズンにはルカレッリとのコンビ
 で24得点をあげ、チームをセリエA昇格に導いた。

 ルカレッリとのコンビは、95−96シーズンに得点王を獲得した時に
 コンビを組んだK・アンデションとのコンビを彷彿とさせた。
 
 04−05シーズンはセリエAで戦い、ルカレッリをアシストして、
 彼の得点王獲得とチームの残留に大きく貢献して現役を引退した。

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2008年08月28日

ロベルト・ボニンセーニャ

ロベルト・ボニンセーニャ

ロベルト.jpg

 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1943年11月13日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  22/9

 ● 所属クラブ



 1963-64 プラト

 1964-65 ポテンツァ

 1965-66 バレーゼ

 1966-69 カリアリ

 1969-76 インテル

 1976-79 ユベントス

 1979-80 エラス・ベローナ



 とてもクレバーで頭が良く、ペナルティエリア内でいつのまにか、敵の
 マークを外して、ゴールを陥れる老獪なストライカー。

 カリアリでリーバの相棒として66−67、68−69、69−70、
 シーズンのリーバの得点王をアシストしたが、69年インテルへ移籍を
 するとストライカーとしての才能が開花し、70−71、71−72
 シーズンの得点王を獲得し、70−71シーズンのスクデット獲得に
 貢献し以後インテルで得点を重ねて、主力として大活躍しユベントスに
 移籍した時には30歳半ばだったが、老獪な動きで敵ディフェンダーの
 マークを外しゴールを決めていた。

 代表ではクラブほどの活躍は出来なかったが、70年メキシコ・ワールド
 カップではルイジ・リーバとのコンビで前評判の良くなかったイタリアが
 準優勝する原動力となる。
 決勝のブラジル戦では敗れはしたが一時、同点となるゴールを決めた。

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2008年08月08日

ブルーノ・コンティ

ブルーノ・コンティ

コンティ.jpg

 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1955年3月13日

 ● ポジション MF

 ● 代表出場  47/5

 ● 所属クラブ




 1973-75 ローマ

 1975-76 ジェノア

 1976-78 ローマ

 1978-79 ジェノア

 1979-91 ローマ




 小柄だが抜群のテクニックをとスタミナを持ち、前線の選手にチャンスを
 供給したり、豊富なスタミナでアップダウンを繰り返し、守備をしたりと
 献身的に動きチームを助けた。

 若い頃はローまで育ったが、ジェノアにレンタルされたりと苦労したが、
 79年に戻ってからはローマにとって欠かせない選手となり、82−83
 シーズンのリーグ優勝にすると、84年の欧州チャンピオンカップの決勝
 に進出にも貢献した。

 代表では82年スペイン・ワールドカップで優勝したイタリアにあって、
 得点王になったロッシや攻撃の要のアントニョーニの活躍の陰に隠れがち
 だがコンティの献身的な働きがなければ、優勝はなかったかも知れない。

 特に決勝の西ドイツ戦ではアントニョーニがいないチームを獅子奮迅の
 働きで助け、勝利を決定付けるアルトベリの3点目を生んだコンティの
 60メートル近いドリブルは圧巻だった。

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2008年07月31日

ルイジ・リーバ

ルイジ・リーバ

リーバ.jpg
 

 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1944年11月7日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  42/35

 ● 所属クラブ



 1960-63 レニャーノ

 1963-74 カリアリ



 左サイドを主戦場にプレーをするがウイングというよりは、相手DFを
 引きずってでも強引に持ち込み、強烈なシュートを放つストライカー。

 キャリアのほとんどをカリアリで過ごし、69〜70シーズンにクラブ
 史上初のセリエA優勝に導き、自らも3度目の得点王を獲得する。

 リーバは人間的にも魅力的でチームメイトからも尊敬されていた。
 69〜70シーズンにインテルからドメンギーニが移籍して来たが、
 チームに馴染めずにプレーに精彩を欠いていた。
 いつもドメンギーニを気にしてアドバイスをしていた。
 そして終盤に古巣インテルとの優勝を争う一戦でドメンギーニが後半に
 起死回生のミドルシュートを放った。
 リーバは前線でボールに触るだけせでゴールだったが、触らずにそのまま
 ゴールを揺らすのを見届けた。
 リーバは得点王を争っていたが、「誰がゴールを決めたかはチームの
 勝利に関係ない」と言い、このゴールでドメンギーニは復調し、チームの
 優勝に貢献し、リーバの得点王にも貢献した。

 代表でもドメンギーニとのコンビは秀逸だった。

 インテル、ユベントスから高額なオファーが来たにも関わらず、リーバは
 故郷のサルディーニャ島を離れることなかった。

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posted by ポポフ at 17:05| Comment(1) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

ロベルト・ベッテガ

ロベルト・ベッテガ

ベッテガ.jpg

 ● 国籍   イタリア

 ● 生年月日 1950年12月27日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  42/19

 ● 所属クラブ



 1966-69 ユベントス

 1969-70 バレーゼ

 1970-83 ユベントス

 1983-84 トロント・ブリザード



 1970年代のユベントスの躍進を支え、長身を活かした空中戦で強さを
 発揮し、時にはダイナミックなダイビングヘッドなど迫力満点のゴールを
 決めファンからは、ペンナ・ブランカ(白い羽)と呼ばれて、彼らの心を
 掴んでいた。

 ユベントス在籍時にはスクデット7回、国内カップ2回、UEFAカップ
 などを制し黄金時代を築いた。

 イタリア代表では1978年アルゼンチン・ワールドカップ大会では、
 パオロ・ロッシとのコンビで2ゴールをあげベスト4に進出に貢献する。

 1982年のスペイン・ワールドカップには怪我で出場はできなかったが
 チームはロッシとグラツィアーニの2トップで1938年以来の優勝を、
 飾る。

 しかし優勝はしたが前回大会のベッテガとロッシのコンビが奏でた、
 スペクタクルなサッカーには遠く及ばずなかった。
 ベッテガは出場はしなかったが、評価は上がった。

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2008年07月01日

パオロ・ロッシ

パオロ・ロッシ

ロッシ2.jpg 

 ● 国籍    イタリア

 ● 生年月日 1956年9月23日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場 48/20

 ● 所属クラブ


1972 ブラト

1972-75 ユベントス

1975-76 コモ

1976-79 ビチェンツァ

1979-80 ペルージャ

1981-85 ユベントス

1985-86 ミラン

1986-87 エラス・ヴェローナ
  

 小柄だが俊敏な動きと類まれな得点感覚で、ストライカーとして
 ゴールを量産した。

 何より際立つのは逆境をプラスに変える精神力の強さである。

 もともとユベントスで育ったが膝の負傷で放出された。
 しかし怪我を克服し77−78シーズンは24ゴールし
 得点王に輝き代表デビューし78年ワールドカップでも活躍し
 ペルージャに移籍する。
 
 しかし彼は八百長事件への関与で2シーズンの出場停止処分を受ける。
 この処分が解ける前にユベントスと契約し82−83シーズンの
 終盤に復帰、3試合に出場しただけだったが、そのまま代表入りする。
 マスコミは代表入りを反対したが、82年のワールドカップで最強と
 言われたブラジルなどを、破り優勝し実力で周囲を黙らせる。
 
 ワールドカップ後はユベントスで、タイトルを総なめにしたが
 古傷である膝の怪我が悪化し、満足なプレー出来なくなり引退する。

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2008年06月19日

フランコ・バレージ

フランコ・バレージ

ばれーじ.jpg

 ●国籍  イタリア

 ●生年月日 1960年5月8日

 ●ポジション DF

 ●代表出場 81/1

 ●所属クラブ


1972-97 ACミラン


 少年時代にミランのユースに入団してから97年の引退まで
 ミラン一筋で生きた男。
 DFとしては、体格的には恵まれていなかったが、他の
 必要なスキルはすべて身につけていた。
 そのスキル中でも際立っていたのが、キャプテンシー
 イタリアサッカー界において、史上最高のキャプテンだろう。

 ミランのプレッシングサッカーを統率しつつ、機を見ての
 攻撃参加は威力が抜群であり、高確率でゴールが生まれた。
 実は隠れたファンタジスタだった。
 ミランですべてのタイトルは手に入れたがパロンドールには
 手が届かなかった。
 ミランではバレージが背負った背番号6は永久欠番になっている。
 
posted by ポポフ at 18:25| Comment(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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