2009年09月02日

ブルーノ・ラッバディア

ブルーノ・ラッバディア

ブルーノ.jpg

 ● 国籍   ドイツ

 ● 生年月日 1966年2月8日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  2/0

 ● 所属クラブ


 1984-87 ダルムシュタット98

 1987-88 ハンブルガーSV

 1988-91 カイザースラウテルン

 1991-94 バイエルン・ミュンヘン

 1994-95 1FCケルン

 1995-98 ヴェルダー・ブレーメン

 1998-01 アルミニア・ビーレフェルト

 2001-03 カールスルーエSC



 
 体格的には恵まれてはいなかったが、屈強なDFが多いブンデスリーガ
 において、持ち前の得点感覚で得点を重ねていったストライカー。

 ダルムシュタット98でキャリアをスタートさせると、早い段階から
 レギュラーとして活躍しエースとして君臨すると、87−88シーズ
 ンにハンブルガーSVに移籍。
 その後88−89シーズンにはカイザースラウテルンに移籍し着実に
 キャリアを積み重ね91−92シーズンには、名門バイエルン・ミュ
 ンヘンでプレーをするまでに成長した。

 その後は数クラブ渡り歩き怪我などもあり、あまり活躍できなかった
 が、98−99シーズンに移籍したアルミニア・ビーレフェルトで
 完全復活し28ゴールを決めてチームの最優秀選手に選ばれた。

 現役時代は8クラブでプレーをして1部で103ゴール2部で100
 を決めた。

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2009年03月17日

フェリックス・マガト

フェリックス・マガト

マガト.jpg

 ● 国籍   ドイツ

 ● 生年月日 1953年7月26日

 ● ポジション MF

 ● 代表出場  43/3

 ● 所属クラブ


 1964-72 アシャッフェンブルク

 1972-74 ヴィクトリア・アシャッフェンブルク

 1974-76 ザールブリュッケン

 1976-86 ハンブルガーSV



 小柄で足元の技術に優れ、ゲームメイクにも長けており前線に効果的な
 パスを送り得点チャンスを何度も演出、自らもチャンスがあれば積極的に
 シュートを狙うミッドフィルダー。

地元のクラブのアシャッフェンブルクでプレーを始めるが小柄なマガトは
 レギュラーポジションを獲得できずにいたが、その類まれなるサッカー
 技術でレギュラーの座を掴むと、チームも変えてステップアップをして
 76年にハンブルガーSVに移籍を果たすと、フォワードのホルスト・ル
 ベッシュと共にチームの中心として活躍をして78−79シーズンにはリ
 ーグ優勝を果たし、81−82、82−83シーズンには2連覇を果たし
 て、83年のチャンピオズカップの決勝ではユベントスを相手に戦い、前
 半9分にマガトがペナルティエリア付近で放ったシュートは綺麗な弧を描
 きキーパーの頭上を越えるゴールを決めるなどして、勝利に貢献した。
 70年代後半から80年代前半のハンブルガーSVの黄金期を支えた。

 代表では1982、1986のワールドカップに出場して優勝こそ出来な
 かったが、準優勝に貢献した。

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ラベル:ドイツ
posted by ポポフ at 17:58| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月06日

クラウス・フィッシャー

クラウス・フィッシャー

フィッシャー.jpg 

 ● 国籍   ドイツ(西ドイツ)

 ● 生年月日 1949年12月27日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  45/32

 ● 所属クラブ


 1968-70 1860ミュンヘン

 1970-81 シャルケ04

 1981-84 1FCケルン

 1984-88 ボーフム



 ゲルト・ミューラーの後継者と言われ決定力に優れ、どこの位置からも
 ゴールが決めれる勝負強く、オーバーヘッドの芸術家と呼ばれるほどオー
 バーヘッドが得意であった西ドイツが誇る名ストライカー。

 68年に1860ミュンヘンでキャリアをスタートさせると、69−70
 シーズンには19ゴールを決め、70−71シーズンにはシャルケ04に
 移籍をしたが、スキャンダルに巻き込まれて1年間の出場停止になるが、
 72−73シーズンに21ゴールを決めて復活を果たすと、その後もコン
 スタントに得点を重ね75−76シーズンには27得点を挙げ得点王に
 輝くが、リーグ優勝は出来なかった。

 81年に1FCケルン、84年にボーフムに移籍をし引退をした。
 ブンデスリーガ通算535試合で268ゴールは歴代2位の記録である。

 代表では77年にデビューを果たすとその試合でいきなり2ゴールを決め
 て素晴らしいデビューを果たしたが、1978アルゼンチン・ワールドカ
 ップでは、前回の優勝の主力が抜けていたこともあり2次リーグ敗退し、
 自身はノーゴールに終わり期待を裏切ってしまう。

 その2年後に行われた欧州選手権では足を骨折してしまい出場出来ないな
 ど不運に恵まれたが、1982スペイン・ワールドカップの準決勝のフラ
 ンス戦では延長の108分までリードされていたがフィッシャーが放った
 起死回生のオーバーヘッドキックが決まり3−3の同点に追いついた。
 その後PKでフランスを破り決勝に進出に貢献をした。

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ラベル:ドイツ
posted by ポポフ at 18:39| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月07日

マリオ・バスラー

オ・バスラー

バスラー.jpg

 ● 国籍   ドイツ

 ● 生年月日 1968年12月18日

 ● ポジション MF FW

 ● 代表出場  30/2

 ● 所属クラブ



 1987-89 1FCカイザースラウテルン

 1989-91 ロット・バイス・エッセン

 1991-93 ヘルタ・ベルリン

 1993-96 ブレーメン

 1996-99 バイエルン

 1999-03 1FCカイザースラウテルン

 2003-04 アル・ラーヤン


 ドリブル、パス、シュートなど攻撃に関する能力は高く、得点能力の高さ
 は秀でており、度々放つ強烈なミドルシュートは相手にとって驚異だった

 1FCカイザースラウテルン でキャリアをスタートさせたが、なかなか
 出番に恵まれずに、ほとんど試合に出場することなくロット・バイス・
 エッセンに移籍をすると、才能が開花し素晴らしい活躍をし、ヘルタ・
 ベルリンを経て、ブレーメン へ移籍をすると、持ち前の攻撃センスに
 磨きがかかり93−94シーズンには、リーグ優勝に貢献し94−95
 シーズンには20ゴールをあげて得点王にも輝いた。

 96年には名門バイエルンに移籍をすると、98−99シーズンのチャン
 ピオンズリーグ決勝戦のマンチェスター・ユナイテッド戦では、前半6分
 にファールで得たフリーキックをバスラーが自ら決めて1−0となり、
 その後は両チームともに決め手を欠き、1−0のまま終了するかと思われ
 たが、終了間際にコーナーキックから立て続けに2点を奪われて、1−2
 で敗れてしまいバスラーは勝利の立役者になりそこなった。

 とてもインタビューが好きで、そのインタビューの中での自由奔放な発言
 で物議をかもし出すことも度々あった。

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posted by ポポフ at 14:42| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

トーマス・アロフス

トーマス・アロフス

トーマス.jpg

 ● 国籍   ドイツ(西ドイツ)

 ● 生年月日 1959年11月27日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  25/2

 ● 所属クラブ



 1978-82 デュッセルドルフ

 1982-86 カイザースラウテルン

 1986-89 1FCケルン

 1989-90 ストラスブール

 1990-92 デュッセルドルフ



 好不調の波はあるものの、一度ゴールを決めて、調子に乗ると止めること
 は難しく、ゴールを量産した。

 実の兄クラウス・アロフスが所属していたデュッセルドルフでキャリアを
 スタートさせると、1年目は途中交代が多いながらも17試合で5得点を
 あげ、兄の得点王獲得にも貢献すると2年目からは、絶対的なレギュラー
 ではないがコンスタントに試合に出場し、DFBポカール・カップ獲得に
 貢献し活躍をする。
 しかし80年代に入ると、チームが2部に降格するなどしてカイザースラ
 ウテルンに移籍。ここでも得点を重ねて、チームの中心選手となる。

 86年に1FCケルンに移籍すると、なかなかトップフォームにならず
 試合出場も限られていたが、88−89シーズンには調子を取り戻して
 33試合で17ゴールをあげ、ローラント・ボールファルトと共に得点王
 に輝いた。

 代表では、好不調のの波がネックとなり、兄のクラウス・アロフスとは
 違い活躍はできなかった。

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ラベル:ドイツ
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2008年09月13日

ディーター・ミュラー

ディーター・ミュラー

Dニュラー.jpg

 ● 国籍   ドイツ(西ドイツ)

 ● 生年月日 1954年4月1日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  12/9

 ● 所属クラブ



 1972-73 オッフェンバッハ・キッカーズ

 1973-81 1FCケルン

 1981-82 シュツットガルト

 1982-85 ボルドー

 1985   グラスホッパー

 1985-86 ザールブリュッケン

 1986-89 オッフェンバッハ・キッカーズ



 長身の体だがしなやかなシュート、さらにヘッドも威力十分で、どこから
 でも得点が決めれるストライカー。

 オッフェンバッハ・キッカーズでキャリアをスタートさせるが選手として
 あまり良い選手ではなかった。
 その当時はカスターと名乗っていたが、しかし両親の離婚でミュラーと
 なり、チームも1FCケルンに移籍する。
 するとストライカーとして目覚め76−77、77−78シーズンの
 ドイツカップを制し、ミュラーは2シーズン連続で得点王に輝く。
 77年のブレーメン戦では1試合6ゴールを決めている。

 その後シュツットガルト、国外に活躍の場を求めたが成功はしなかった。

 代表では1976欧州選手権準決勝のユーゴスラビア戦で代表デビューを
 するが、試合は残り10分で1−2でリードされている状況だったが
 出場した1分後の最初のボールタッチでヘッドを決め、同点にすると
 そして延長戦の残り5分で2ゴールを決めてチームを勝利に導いた。

凄まじい集中力で、短時間でゴールを量産できる選手だった。

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2008年08月14日

ウルフ・キルシュテン

ウルフ・キルシュテン

キルシュテン.jpg

 ● 国籍   ドイツ(東ドイツ)

 ● 生年月日 1965年12月4日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  東ドイツ49/14 西ドイツ51/21

 ● 所属クラブ



 1983-90 ディナモ・ドレステン

 1990-03 レバークーゼン


 
 派手さはないが、小柄で相手DFの裏をつきシュートを放ち確実にゴール
 するパターンが多く、ストライカーに一番必要なゴールへの嗅覚が非常に
 優れていたストライカー。

 クラブレベルでは90年に東ドイツ最優秀選手を受賞し、東西ドイツ統一
 後はレバークーゼンで不動のCFとして活躍して3度の得点王に輝く。

 ワールドカップにはドイツ代表として94年、98年大会に参加をしたが
 94年はルディ・フェラーとユルゲン・クリンスマンの影に隠れてしまい
 98年大会はオリバー・ビアホフの影に隠れてしまったが、98年の大会
 の欧州予選ポルトガル戦で80分を過ぎても0−1と、リードされドイツ
 史上二回目の予選敗退の危機が迫っていたが、途中出場したキルシュテン
 はロスタイムに左足で確実にシュートを決めて、その危機を救った。

 東西ドイツ代表で100試合に出場したのはキルシュテンだけである。

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2008年08月13日

ウリ・ヘーネス

ウリ・ヘーネス

ヘイネス.jpg 

 ● 国籍   ドイツ(西ドイツ)

 ● 生年月日 1952年1月5日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  35/5

 ● 所属クラブ



 1970-78 バイエルン

 1978-79 ニュルンベルク



 足元の技術に優れ、前線の選手ながら献身的に動き、豊富なスタミナを
 保有しおり、ミッドフィルダーとしてもプレーしチャンスメイクもできる
 万能型フォワード。

 代表ではあまり試合にはでていないが1972年のUEFA欧州選手権
 1974年の西ドイツ・ワールドカップに出場し優勝に貢献する。

 クラブではキャリアのほとんどをバイエルンで過ごし74年〜76年の
 欧州チャンピオンズ・カップの3連覇に貢献するなど、バイエルンの
 黄金時代を支える。
 チームメイトのゲルト・ミューラーとのコンビはドイツ国内にだけでなく
 欧州を席巻した。

 キャリアの後半は怪我と戦い何度か怪我を克服して、ピッチに戻り元気な
 プレーを披露したが、最後は長年、痛めていた膝の怪我が悪化して27歳
 の若さで引退を余儀なくされる。

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2008年08月02日

オリバー・ビアホフ

オリバー・ビアホフ

ビアホフ.jpg

 ● 国籍   ドイツ

 ● 生年月日 1968年5月1日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  70/37

 ● 所属クラブ



 1986-1988 バイエルン・ユルティンゲン

 1988-1990 ハンブルガーSV

 1990      ボルシアMG

 1990-1991 ザルツブルグ

 1991-1995 アスコリ

 1995-1998 ウディネーゼ

 1998-2001 ACミラン

 2001-2002 モナコ

 2002-2003 キエーボ



 190センチを超える長身で空中戦に無類の強さを誇り、前線で相手DF
 と競り合いながら、放つヘディングシュートは威力抜群で、彼の最大の
 武器にもなりゴールを量産した。

 クラブではオーストリアに渡った頃から、才能が開花し始めイタリアに
 渡り、彼の才能が大爆発し98年に得点王を獲得し、99年にはミランの
 リーグ優勝に貢献する。

 代表では96年の欧州選手権の決勝のチェコ戦でドイツの窮地を救う。
 1点リードされた69分に切り札として登場すると、その4分後には
 得意のヘッドで同点ゴールをあげると、延長5分にゴールを背にして
 クリンスマンからのパスを受けると、振り向きざまに左足を振りぬき
 逆転ゴールを決めドイツの優勝の立役者となる。

 当時の監督はフォクツで代表に初招集は27歳と遅く96年の欧州選手権
 の4ヶ月前だった。
 彼を代表に呼ぶきっかけを作ったのは、フォクツ夫人の 「ビアホフは
 間違いなくユーロでのキーマンになる」という一言だった。
 
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2008年07月24日

ホルスト・ルベッシュ

ホルスト・ルベッシュ

ルベッシュ.jpg 

 ● 国籍   ドイツ(西ドイツ)

 ● 生年月日 1951年4月17日

 ● ポジション FW

 ● 代表出場  21/6

 ● 所属クラブ



 1975-78 RWエッセン

 1978-83 ハンブルガーSV

 1983-85 リェージュ

 1985-86 ドルトムント


 ある試合のあとにルベッシュが「PKもヘディングで入れる」と冗談を
 言ったが、それが冗談に聞こえないほどの強烈なヘディングシュートで
 ゴールを量産したストライカー。

 ルベッシュの代表的なゴールは、80年欧州選手権決勝の対ベルギー戦で
 1−1で迎えた終了間際に、ルンメニゲからのCKを得意のヘディングで
 ゴールに叩き込んだ。
 
 それが決勝点となり、72年以来の欧州王者に返り咲いた。
 その決勝の先制点もルベッシュが決めており、そのゴールはシュスター
 からのボールを胸でトラップ、そこから右足で放たれたボレーシュートは
 約20メートル先にある、ゴールに突き刺さった。

 クラブではハンブルガーSVで個人的に得点王を獲得し、チームとしては
 リーグ制覇3回、UEFAチャンピオンズ・カップも制覇した。 
 
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2008年07月22日

ボルフガンク・オベラート

ボルフガンク・オベラート

オベラート.jpg

 ● 国籍   ドイツ(西ドイツ)

 ● 生年月日 1943年9月29日

 ● ポジション MF

 ● 代表出場  81/17

 ● 所属クラブ




 1962-77 1FCケルン



 左利きのゲームメーカーで鮮やかなボールコントロール、巧みなキープ、
 幅広く動き回り、その中からショートパスやミドルパスを駆使し攻撃を
 リードした。
 ミドルシュートも得意で度々、勝負を決める鮮やかなシュートを決めた。

 代表では66年ワールドカップ準優勝、70年大会3位、74年大会優勝
 とベッケンバウアーとともに、西ドイツの黄金時代を主力として支えたが
 当時の代表でのポジションをネッツァーと争い、72年の欧州選手権では
 ネッツァーがゲームメーカーを務めて優勝したが、74年の地元開催の
 ワールドカップではポジション争いに勝ち、全試合に出場し当時、最強と
 言われた西ドイツの優勝に貢献した。

 クラブでは一貫して1FCケルンでプレーした。

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2008年07月14日

ゼップ・マイヤー

ゼップ・マイヤー

マイヤー.jpg

 ● 国籍   ドイツ(西ドイツ)

 ● 生年月日 1944年2月28日

 ● ポジション GK 

 ● 代表出場 95/0

 ● 所属クラブ
 
 
 
 1965-79 バイエルン



 それほど大柄な体ではないが、超人的な反応と、優れた判断力を
 駆使しての勇敢な飛び出しで、バイエルンや代表のゴールマウスを
 守り抜いた西ドイツが誇る守護神。

 クラブチームではリーグでは4度の優勝。
 74年から欧州チャンピオン・カップ3連覇をし、76年インターコンチ
 ネンタル・カップ優勝など栄光を掴んだ。

 しかし代表では66年のワールドカップでは第3GK、70年大会では、
 レギュラーだったが、プレーに安定感を欠いていたが、着実に経験を
 積むにつれて成長し、72年欧州選手権、74年のワールドカップでは
 大会屈指のGKに成長していた。

 しかし79年に交通事故で重傷を負い惜しまれながら引退をした。

 クラブ、代表で同じチームメイトだった、ベッケンバウアーやミュラー
 とは異なりバイエルンで選手生活を終えた。

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2008年07月09日

ゲルト・ミュラー

ゲルト・ミュラー

ミュラー.jpg 

 ● 国籍   ドイツ(西ドイツ)

 ● 生年月日 1945年11月3日

 ● ポジション FW 

 ● 代表出場 62/68

 ● 所属クラブ


 
 1954-64 ノルトリンゲン

 1964-79 バイエルン

 1979-80 フォートローダーデール・ストライカーズ

 1980-81 SB・フォートローダーデール



 小柄でずんぐりした体格で、一見すると優れたストライカーに見えないが
 もっとも得点感覚に優れたストライカー。
 
 得点の多くは、ゴールの前の短い距離からあげたもので、いつの間にか
 ゴール前に現れたら、そこにボールが来るという特異な才能を持っていた
 その才能で横たわっても、座っても、転んでも必ず、体のどこかに当てて
 ゴールに押し込む技術に長け、ゴールを奪う能力はずば抜けていた。

 ミュラーのゴールをするまでの動きは技術的に解明できたが、なぜ彼が
 占い師のように、ボールの行く末を見極めているような動きをするのかは
 サッカーの七不思議と言われていた。

 ブンデスリーガでは7回の得点王に輝き、通産405ゴールをあげており
 代表では62試合68ゴールという驚異の数字を残している。

 他人にはマネできない決定力を持つ、誰よりも優れたこのサッカー選手は
 まさにストライカーの手本である。

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2008年06月24日

ローター・マテウス

ローター・マテウス

マテウス.jpg 

 ●国籍   ドイツ

 ●生年月日 1961年3月21日

 ●ポジション MF

 ●代表出場 150/23

 ●所属クラブ


 
 1979-84 ボルシアMG

 1984-88 バイエルン

 1988-92 インテル

 1992-00 バイエルン

 2000-01 NY・NJ・メトロスターズ



 DFでプロのキャリアをスタートさせた、ドイツの闘将は
 プレイスタイルを変え活躍の場を、言葉の通じないイタリアに
 移してもその熱いハートですぐにチームの精神的支柱になり
 チームメートの信頼を勝ち取る。
 インテルではMFで攻撃の中心となる。
 圧倒的な攻撃力を誇ってスクデットを獲得した89年の
 インテルを生み出したのは、間違いなくマテウスだった。

 1998-99シーズンのチャンピオンリーグの決勝で
 マンチェスター・ユナイテッドに敗れ準優勝に終わった際の 
 表彰式ではメダルの授与されるのを拒否している。

ドイツ代表 歴代最多150試合出場
5度のワールドカップ出場
ワールドカップ最多出場記録25試合

 
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